病院から電話
母の状況についての連絡があった
簡単に言うと、健康状態は戻ったので病院でやれる事はもうない
ただ、入院前は歩けたが現状は立つのがやっとである事はできない
意思の疎通も難しい状態。
そして何よりも食事ができない
食事をする意思がないらしく口も開かないらしい。
おそらく、ひとりで通常の食事をするのはもう無理ではないか
と言うのが先生の見立て
退院後の話をされたが選択肢が、、、
①家に帰る・・ただ食事ができないので以下の方法があるらしい
a抹消静脈医療
b中心静脈医療
cいろう医療
d鼻から管を入れて栄養をとる
全部私だけでは無理な事
②療養型病院
確かに具合が悪くて入院したが、ここまでの状態になってしまったとは
明日、病院へ行き母を見て再度相談。。。
はぁ
コロナ禍での入院
母親は、肝機能低下から脱水症状等を引き起こし現在入院中です
毎度の事ですが、体調を察する事ができず
不要な喧嘩をしてしまった
というか、一方的に私が小言をいってしまった直後の
緊急入院だったので胸のざわつきが止まりません。
今までも何度も意識が戻らなかったり
せん妄状態になったりしたまま入院は有りましたが
病室へ行く事が許されない今の状況だと謝れないままってことも・・・
ちなみに、小言の原因は以上に身体を痒がって塗り薬をべたべたと塗りまくくっていたこと(肝臓病患者の三人に一人はかゆみがあるらしい)、トイレがやたら近く間に合わないとリハビリパンツをベットで脱いでしまって服も布団も濡らしてしまう事で
病気が引き起こすことだとは結び付かず、くどくどと・・・猛省
母、入院する
水曜日(2/16)にデイサービスから連絡があり急遽会社を早退して迎えに行ったその足でかかりつけの大学病院へ行きそのまま入院となった。
正直、朝晩様子を見に行く事も
家の中をぐちゃぐちゃにする事も
紙パンツを脱いで布団や洋服を濡らしてしまうこと
全てが面倒くさく感じることがある
でも、密に接したからこそ生まれた
親子というより「友情」的な不思議な感覚を感じているのも確か
(私は通常友達を必要としないので、友情について分かっていないのかもしれないが)
入院直後から下血をしたりしているらしく(コロナで面会はできていない)
かなり危険な状態である。。。
ジワジワ増加する体重
昨年の手帳と今年の手帳の一番の違いは
年頭いつも書いている目標体重の値
昨年一年かけてじわじわと10㎏も増加した体重を標準に戻すには
一年で20㎏減らさなければならないという
マイナス20なんて
マイナス10も
マイナス5も
できなかったのに
くっ(>_<)
フランシスコって、誰?
先日仕事関連でとある賞を頂きました。
その賞の盾がアメリカから送られてきたのですが
盾に刻まれていた名前が”フランシスコ”さん
間違えて送られてきたのですが
ここまで違うと、
いっそこれでもいいやと思ってしまいます 笑
今まで頑張って来た、今日も頑張る
昨日娘の塾の先生が娘に向けて言った言葉が
ちょっと胸に刺さってしまいました
現在医学部目指して猛勉強中の娘ですが
最近の模試の結果に落ち込んでいて
朝起きられず、塾も休みがち
そんな中行われた三者面談で
遠くの(入試)結果だけ考えて不安にならないで
日々を一歩一歩進んで行こうよ的な話をする中で
「今まで頑張って来た、今日もがんばる」そんな気持ちで過ごしてみて
っと塾長から声をかけて頂きました。
ガンバレとか、なんでやらないのとか私は直ぐに口にしてしまう事を
猛省させられました
ちなみに娘は1年で数学の偏差値を30上げました
ほんと今まで頑張って来たね~と思っています